小笠原 矗
「みやぎ聞き書き村」の仲間のM子さんから「この人は貴方ではないですか?」と古い新聞記事のコピーが届いた。
私たちはまず「柳の御所資料館」で最近の発掘成果と平泉の史跡の位置関係を頭に入れた。平泉は毛越寺分17坊と中尊寺17坊とがあり、毛越寺は平らな地に中尊寺は山にある。中尊寺の関山を越えると衣川である。この道筋が関の道である。西は白川の関から東は津軽の外が浜までの中央が衣の関である。古人は中央を意識していた。この古道の東脇が接待館(秀衡の妻が旅の人を接待した所)である。昨年(05年)の発掘で武具が出土したことからこの一画に義経の屋敷があったのではないか。テレビドラマの「義経」とあいまって関係者も歴史ファンも色めきたった。義経は藤原基成の居館と言われる衣の館に住んでいたとされているがこの館跡まだ特定されていない。いずれ関の道を挟んだ衣川の川筋であろう。
羽黒山には地元の水沢の歴史愛好家たちが立てた「のろし台」がある。のろしは狼煙とも烽火とも書くが烽火が古いという。代々烽火を守る人がいて火急の時に連絡した。夜は火、昼は煙で信号(合図)を送受信した。狼煙、こちらののろしは狼であるが何故オオカミなのか。以前、地元の歴史に詳しい水沢市議会副議長の佐藤さんから「オオカミの糞を乾燥させてのろしの燃料にしたので狼の字を当てた。オオカミの糞の煙は多少の風になびかず真っ直ぐ上がるから」と聞いたことがある。そこで私は夜ののろしは烽火で昼ののろしは狼煙ではないかと思った。佐藤さんたちは北上川東岸に並ぶ束稲山(一関市)、羽黒山(江刺市)、国見山(北上市)で狼煙をあげて確かめたという。実験考古学と言ったらいいのだろうか。ロマンがある。えみしの時代は東北は正史から消されたり、退治されて当たり前とされてきたので、佐藤さん達の実験は古戦場跡から学ぶ平和への道しるべなのだと思った。
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